【創作】 今夜、ドラッカーとBARで ~ カクテルと見立てとイノベーション ~
飲食店を舞台に、学びの楽しみを物語で紹介するシリーズです。
達磨信「バランタイン17年ホテルバー物語」と、もちろんですが岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社、2013)へのオマージュです。
「今夜、ドラッカーとBARで」
~ カクテルと見立てとイノベーション ~
作・写真 ポンちゃん
※この物語は、実在する飲食店および飲食店のスタッフ以外の登場人物はすべて架空であり、フィクションです。
折しも祇園祭の真っ只中。夏の一大行事を迎えた京都にやってきた。
京都にきたのは、旅行でなく仕事だ。
勤務先とコンサル契約している経営コンサルタントが、プライベートで京都旅行をされるというので、その旅行に同行せよとお達しがあったのだ。
経営コンサルタントはアメリカの高名な方らしく、通訳も同行されると聞いている。
ではなぜポンちゃんが同行するのか?
仕事は別として、社内でグルメとして名を響かせているから、美味しいお店を案内し、コンサルタントの先生の心証を良くしてほしい、ということらしいが、実際のところはよくわからない。
京都駅には、経営コンサルタントとの待ち合わせ時刻より、かなり早めに到着した。
久し振りの京都なので、いろいろと寄り道したい場所があったからだ。
四条通を歩いていると、祇園囃子がコンチキチンと鳴り響く。鉦と太鼓と笛の音のリズムの反復に、気分がなぜか高揚してきた。
時間は夕方の5時前。夏の京都はまだ日も高い。
経営コンサルタントから「食事の前にアペリティフが飲みたい」との要望があり、バーで午後5時に待ち合わせの予定としたのだった。
伺ったのは、バー〔ロッキングチェアー〕。周囲は商家ばかりの街並の一角に、目指すお店はあった。マスターお手製の木製の看板がなければ、バーとは分からない和の店構えである。
店内に入ると、一転シックでオーセンティックなバーの雰囲気に包まれた。
店内には薪ストーブがあり、店名の由来であるロッキングチェアがあり、町家らしく坪庭がある。
テーブル席に着席した。
しばらくして、アポイントメントの5分前に、経営コンサルタントと通訳が到着した。
「はじめまして。○○社のポンちゃんと申します。本日は京都の夜をご案内させて頂きます。よろしくお願いします。世界的に著名なドラッカー先生と一夜をご一緒できることが、光栄です。一生の思い出になります」
「ピーター・ファーディナンド・ドラッカーです。こちらこそよろしく。バーで食前酒というから、オーセンティックなバーかな?いや、京都らしいお茶屋バーかな?と色々想像を巡らせていたのだが。想像は裏切られたよ」
「えっ、先生のご期待に沿えませんでしたか?」
「むしろその逆だ。町家・坪庭、といった日本文化と、バックバー・ロッキングチェアーといった西洋文化が、違和感なく融合している。素晴らしい空間デザインだよ」
ドラッカーを怒らせたら、帰社後上司に大目玉かな?いやいや社長の怒りを買ってクビかな?と、ポンちゃんは一瞬恐れを抱いた。が、すぐさまホッとした。
ポンちゃんは、マスターの坪倉健児さんと相談し、ドラッカーのために、さくらんぼ(佐藤錦)を用いた季節のフルーツのカクテルを注文した。
「美味しい。そして、私の唱える『西洋の日本化』をふまえた美味しさだ」
「先生、『西洋の日本化』について、もう少し詳しくお聞かせ頂けますか?」
ドラッカーの表情が、一瞬まなじりを決したように思えた。しかし、すぐに元の柔和な表情に戻った。
「他から学んだテクノロジーや文化を、日本人は巧みに咀嚼し、消化し、我が物として血肉化する。それが『西洋の日本化』だ。その巧みさは、日本人特有の知覚の能力によるものだよ」
「日本人特有の知覚の能力・・・」
「つまり森羅万象、山川草木を、命あるものとしてとらえる能力のことだよ」
「命あるものとしてとらえる能力・・・」
「ポンちゃん、ここが大事なポイントなんだ」
「大事なポイント・・・」
「例えば、私がいま飲んでいるラムベースのさくらんぼのカクテルだったら、カクテルブックのレシピの応用として、世界中探せば他にもあるだろう。しかし、そこにアメリカンチェリーではなく佐藤錦を用いて、甘みづけにシロップではなく和三盆を用いること。佐藤錦からは、季節感や東北のリージョナルな雰囲気を感じることができる。和三盆からは、茶道文化の伝統を感じることができる・・・」
「カクテルから、日本文化を感じさせるという見立て、ですか?」
「その通りだ。日本人特有の知覚の能力とは、見立てのことだよ」
「見立てとは、対象を他のものになぞらえて考えるという、日本文化特有の知覚のことですね。例えば、枯山水のお庭で、砂の模様を水の流れとして知覚すること・・・」
「そうだ!」
ドラッカーの表情が、再度まなじりを決したように思えた。そして、声のトーンが上がったのでビックリした。
「枯山水はきらびやかな西洋の庭園と比べてはるかに狭い。この店の坪庭なんてさらに狭い。しかし、狭くてもそこには自然界全体や永遠が表現されているんだよ」
「確かに、西洋の庭園を見て美しいと感じます。しかし、見ていて落ち着くのは、心地良さを感じるのは、自分の場合は西洋庭園よりも、枯山水だったり、坪庭だったりします」
「それはポンちゃんに、そういう感覚を産み出す知覚が備わっているということだ。もちろん、きらびやかな西洋庭園の方に、心地良さを強く覚える人もいるかもしれないがね」
「趣味嗜好は、人それぞれということですね」
「せっかく美味しいカクテルを飲んでいるから、カクテルについて話をしようか。ポンちゃん、私の飲んでいるカクテルには液体が半分、空の部分が半分あるように見える。ポンちゃんには、このカクテルが『残り半分も』入っているように見えるかね?それとも『残りが半分しか』入っていないように見えるかね?さあ、どちらだろう?」
「スミマセン。先生のご案内を仰せつかったので、書籍を拝読したんです。だから先入観があって『残りが半分しか』入っていないとしか見えないんです」
「私の本(『P・F・ドラッカー経営論集』ダイヤモンド社、1998)を既に読んでいたんだね」
コップに半分入っているとコップが半分空であるとは、量的に同じである。だが、意味はまったく違う。世の中の認識が、半分入っているから半分空であるに変わるとき、大きなイノベーションの機会が生まれる。
「はい。そうです。書籍を読むまでは『コップが半分空』はネガティブ思考で、『コップに半分入っている』はポジティブ思考だから、自分もポジティブ思考になった方が良いと思い、そのように考えようとしていました。ですが、先生の文章を拝読し、目から鱗が落ちました。思考をポジティブにすることは大事です。確かに大事ですが、イノベーションを起こす行動を通じて自らを変えること、そして社会を変えることがもっと重要なのだと」
「関係ないけど、ポンちゃんの話を聞いたら、『自ら機会を作り出し 機会によって自らを変えよ』って、ファウンダー江副浩正によるリクルートの旧社訓を思い出したよ。私もポジティブ思考を否定しない。大切な考え方だと思う。しかし、ポジティブ思考だけだと、自己完結、自己満足、支配/服従など一方通行の人間関係に陥る危険があるのだよ。そこは慎重な自己分析が必要だ」
「なるほど。いかにも自信ありげな人の中でも、真の自信を持つ人と、こけおどしの人と、自己チューな人と、人それぞれな気がします」
「ポジティブ思考をすれば良いってものではない。ただのわがままになったら意味がない。まあ、その辺りは私の本だけでなく、スティーヴンのを読んでおけば良いかもしれんな」
「スティーヴンとは『7つの習慣』のコヴィー氏のことですか?」
「そうだ。スティーヴンのインサイド・アウトという考え方が、機会によって自らを変えるっていう自己啓発の原則を、上手にまとめている。知覚についての探究は私と共通点が多いが、スティーヴンの主張は、いま日本で流行のアドラーに近い。自己啓発的だ。私の基本姿勢はより『傍観者』的だ」
「内から外へ。他者を変える前に、まず自分が変わらなければならない・・・」
「カクテルの話に戻ろうか。君はボーヴォワールの『女ざかり』って小説を読んだことがあるかね?」
「はい。学生時代に読みました。サルトルが友人から、現象学だったらカクテルも哲学できるんだよ、って聞いて感動したってところは、なんとなく覚えています」
「ここにiPadがあるから、検索して読んでごらん」
レーモン・アロンはその年をベルリンのフランス学院で送り、歴史の論文を準備しながらフッサールを研究していた。アロンがパリに来た時、サルトルにその話をした。私たちは彼とモンパルナス街のベック・ド・ギャーズで一夕を過ごした。その店のスペシャリティーであるあんずのカクテルを注文した。アロンは自分のコップを指して、
「ほらね、君が現象学者だったらこのカクテルについて語れるんだよ、そしてそれは哲学なんだ!」
サルトルは感動で青ざめた。ほとんど青ざめた、といってよい。
それは彼が長いあいだ望んでいたこととぴったりしていた。つまり事物について語ること、彼が触れるままの事物を……そしてそれが哲学であることを彼は望んでいたのである。アロンは、現象学はサルトルが終始考えている問題に正確に答えるものだといってサルトルを説き伏せた。つまりそれは彼の観念論とレアリスムとの対立を超越すること、それから、意識の絶対性とわれわれに示されるままの世界の現存とを両方同時に肯定するという彼の関心をみたすのだとアロンは説得したのであった。
「サルトルは、カクテルも哲学できるってことを知って、感動したんですね」
「その通り。いま私が飲んでいるカクテルを、現象学的に考察することもできるんだよ」
「カクテルをどのように哲学するかは、まったく知らないのですが・・・」
「現象学とは、知覚についての考察を通じて物事の本質を探究する哲学だ。例えば、ここにあるオレンジ色のカクテルは1杯いくらするか知らないけど、千円以下ということはないはずだ。それに対して、もしカラオケボックスでラムとアメリカンチェリーとガムシロップを使った似たようなオレンジ色のカクテルがあったとしても、どう高く見積もっても千円以上ということはない。グラスに入った類似成分のオレンジ色をした2つの液体、しかもどちらも分類からすればカクテルだ。どちらが高いか安いかなんて、そのものだけを比べたら判断がつくかい?判断のためには、飲む場所だったり、作り手だったり、顧客の見立ての能力だったり、実際の液体の成分だけではなく、多種多様な知覚の統合として決定づけられる。現象学以前の哲学は、近代西洋の主客二元論の世界観を基礎とし、対象の観察者の純粋な観察と分析の循環を前提としたが、そこに現象学は知覚という補助線を引いて、純粋な観察と分析という考え方はフィクションであると喝破したんだ。つまり、高級なバーだったらオレンジ色の液体にいくら支払う、カラオケボックスだったらオレンジ色の液体にいくら支払う、という判断には、論理的に考えると飛躍がつきものだ。だから、人間は統合的な暗黙知のスイッチのON/OFFを無限に繰り返すことで、因果関係や定量化を主とした論理性だけで判断できない事柄でも、統合的な知覚によって判断しているんだよ」
「スミマセン。かなり難しい話になってきましたね」
「すまんすまん。若い頃哲学に凝ったことがあって、ついつい話に熱が入ってしまった。分かりやすく言うと、グラスに入ったオレンジ色の液体を、色つきの砂糖水でも、バヤリースのオレンジジュースでもなく、米屋のプラッシーでもなく、カクテルと認識するために、人は論理だけではなく知覚を主に用いているんだよ」
「バヤリースとかプラッシーとか、ジュースの種類まで、日本におられないのにマニアックに詳しいですね」
「ここ40年間、毎年来日してるもんでね・・・。それはともかく、しかも、さっき言ったように、カクテルといっても色々ある。最近はノンアルコールカクテルなんてものもある。ではノンアルコールカクテルと、色つきの砂糖水の違いって何だろう?」
「そういえば、色つきの砂糖水って言ったら貧乏くさいけど、ノンアルコールカクテルって言ったらオシャレな響きですね」
「ハハハ。そこが私のいうイノベーションの契機になるんだよ。『色つきの砂糖水』を売るために不足しているもの。それは君の言い方だと『オシャレな響き』なんだよ。『色つきの砂糖水』を『ノンアルコールカクテル』にした人は、イノベーターだと思うよ。イノベーションとは、必ずしも新技術や新商品の開発を必要とはしない。飲み会でお酒が苦手だったり、自動車の運転でお酒が飲めない人に対して、ノンアルコールのオシャレな飲み物を提供すること。そのために『色つきの砂糖水』ではなく『ノンアルコールカクテル』と命名すること。そして、消費者の知覚を変容させること。それがイノベーションなんだよ」
ポンちゃんは感動で青ざめた。ほとんど青ざめた、といってよい。それはかれが長いあいだ望んでいたこととぴったりしていたのだったからだ。
「美味しいカクテルを友に楽しい話をしたら、空腹感を覚えたよ。さあ、次のお店で、何か美味しいものを食べさせておくれ。期待しているよ」
〔参考書籍〕
上田惇生『ドラッカー入門 万人のための帝王学を求めて』(ダイヤモンド社、2006)
シモーヌ・ド・ボーヴォワール、朝吹登水子、二宮フサ訳『女ざかり 上・下』(紀伊國屋書店、1963)
ドラッカーへのラブレター(その2) ~ 全体は部分の和にあらず ~
ドラッカーは「日本人は、物事の本質は因果ではなく、形態としてとらえる能力を持っている」ことに気づくことになるのです。
「ドラッカーへのラブレター(その1) ~ ラブストーリーは突然に ~」で、上記の文章を引用し、ドラッカーが日本人を「物事の本質」を「形態」としてとらえる能力をもっていることを示唆しました。
では、「物事の本質」を「形態」としてとらえることとは、どのようなことでしょうか?
その意味をつかむために、一本の補助線を引く必要があります。
補助線とは、心理学の知識です。
そして「形態」とは、心理学用語です。
心理学に詳しい方は、ここでピンと来たかもしれません。
「形態」とは、ドイツ語の"Gestalt"の日本語訳のことです。
そうです。「形態」とは、ゲシュタルト心理学の「ゲシュタルト」のことだったのです。
ドイツではヴェルトハイマー(Wertheimer,M:1880-1943)、ケーラー(Kohler,W:1887-1967)、コフカ(Koffka,K:1886-1941)らが、心理現象の全体性を重視し、心を構成要素の複合体と考えるヴントの構成主義を批判した。すなわち彼らは、心理現象全体がもつ特性はそれを構成する要素に還元することはできないので、1つのまとまりとしてその全体をそのまま研究すべきだと主張した。そのような1つのまとまりのことをドイツ語では形態(ゲシュタルト;Gestalt)という。このため彼らが提唱した心理学は、ゲシュタルト心理学と呼ばれている。
(森敏昭「コラム1-1 心理学の源流」、無藤隆・森敏昭・遠藤由美・玉瀬耕治『心理学』有斐閣、2004)
上記の引用に記載があるように、ゲシュタルト心理学は、そもそもヴントの構成主義のアンチテーゼとしての意味合いを持っていました。
ヴントの構成主義は「心理学の源流」というべき学問であり、心理学以前に心について研究した宗教や哲学と比べ、自らの態度を「科学的」であると基礎づけたものでした。
ちなみに、ここでの「科学的」とは、実験結果とその分析により、心の成立について科学的に説明できるとする態度のことです。
「心の科学」としての心理学の創始者はヴント(Wundt,W:1832-1920)だと見なされている。それは、ヴントが1879年にドイツのライプチヒ大学で世界で最初に心理学の実験室を設けたからである。ヴントはよく訓練された実験参加者に、自分自身の意識の内容を観察・報告させる内観法(introspection)と呼ばれる方法を用いて、厳密に統制された条件下での意識の分析を行った。そして、意識の構成要素は純粋感覚と単純感情であり、それらの複合体として意識の成り立ちを説明できると考えた。つまり、さまざまな物質の成り立ちを分子や原子の複合体として説明する自然科学(化学)の方法を、心理学にも適用しようとしたのである。これは構成主義(structuralism)と呼ばれる考え方であり、このような考え方に基づくヴントの心理学は構成心理学と呼ばれている。
構成主義は、そもそも自然科学(化学)の方法論を、心の研究にパラフレーズしたものでした。
あたかも、研究所の静謐で清潔な研究室で、フラスコやビーカーの中の化学物質を、混ぜ合わせたり、顕微鏡で注視するかのように。
よく訓練された実験参加者により観察・報告された断片的結果の総和が、意識の成り立ちと等しいと考えたのが、ヴントでした。
断片的結果の総和、つまり「全体は部分の和である」という考え方は、「因果関係」と「定量化」という二種類の概念によるものです。それは、自然現象を数式によって説明できるとした「科学的」な態度の賜物であります。そして、そのような態度を基礎づけた基本思想こそが、17世紀の哲学者ルネ・デカルトの近代合理主義だったのです。
「我思う、故に我あり(cogito ergo sum)」
デカルトの合理主義は、人間のクリアな意識による論理性を前提とした思想です。
合理主義によると、因果関係や定量化を超えた直感的・神秘的・宗教的な現象は、非科学的なものと退けられるべきであり、科学的態度によって啓蒙されるべきだったのです。
世界は広大であって複雑である。しかしそこには、何か秩序があって目的があるかのようである。しかも変化し、変化したものは元に戻らない。諸行無常は、日本人にとっては真理どころか常識である。かつ、出鱈目さ、すなわちエントロピーは増大してやまない。
その世界を暗黒として見、いささかなりとも、これを論理によって解明しようとした哲学者がデカルトであり、近代合理主義としてのモダンだった。そこから、その後の科学技術の進歩が生まれた。技術としてのテクネに体系としてのロジーが加わってテクノロジーとなり、イギリスに工具製作者が生まれ、実用蒸気機関と産業革命が可能となった。
デカルトのモダンは、意味あるものは因果関係と定量化であるとした。科学は因果についての知識であり、意味あるものは量であるとした。全体は部分の和であり、それどころか部分によって規定されるとした。このデカルトのモダンが、三五〇年間西洋を風靡し、世界を支配した。心底信じた哲学者はわずかだったが、モダンと呼ばれることになった時代の世界観は、デカルトのものだった。
上記のような合理主義と科学的世界観により、人間の意識や感情についても、化学と同様「科学的」に分析できるとしたのが、構成主義の考え方の基本です。
しかし、ゲシュタルト心理学では、合理主義と科学的世界観に基礎づけられた構成主義を真正面から批判します。
ゲシュタルト心理学でいう「形態(ゲシュタルト)」は、部分間の因果関係と定量化によって説明し切れるものではありません。あたかも美しいメロディが、一つ一つの音符という要素に還元しても、その因果関係が「科学的に」説明できないように。
形態(ゲシュタルト)とは、部分の和=全体という因果関係や定量化で決してとらえることのできない、予測不可能なカオスだといえます。
ゲシュタルト心理学に先駆け、既に19世紀末から20世紀初頭にかけて、数学者アンリ・ポアンカレが位相幾何学(トポロジー)について言及しています。また、合理主義と科学的世界観がもたらす「真」という価値観についても、次のように批判しています。
すべてを疑うか、すべてを信じるかは、二つとも都合の良い解決法である。どちらでも我々は反省しないですむからである。
経験はどの幾何学が最も真であるかを認識させはしないが、どれが最も便利であるかを認めさせる。
ちなみに、1980年代の現代思想ブームの末期にかろうじて匂いを嗅いだ僕にとって、トポロジーといえば、浅田彰『構造と力』(勁草書房、1983)の表紙に描かれた「クラインの壺」のイメージです。
《クラインの壺》は外部を持たない、というよりも外部がそのまま内部になっているのであり、内外の境界【フロンティア】に定位して内部の秩序と外部の混沌との相互作用をクローズ・アップしようという構えを、最初から受けつけないのである。
む、む、難しい。。。
何を言いたいのか、雰囲気は分かるものの論理的にはよくわからん(笑)
それこそが、浅田彰の目指した「テクストの快楽」(ロラン・バルト)なのか???
それはともかく、ゲシュタルト心理学やポアンカレの位相幾何学(トポロジー)を通じて、19世紀末から20世紀前半にかけて、合理主義や科学的世界観を乗り越えようとする思想的動きがあったことがわかります。
20世紀前半に学問の道を歩み始め、読書の虫として学生時代を過ごしたドラッカーにとって、そのような思想は非常に刺激的だったと推察できます。
(つづく)
思い出の一皿 ~ 「コート・ドール」の季節野菜のエチュベ ~
13年の時を経ても、その時味わった感動が色褪せることのない美味があります。
一見ありふれたもののようではあるが、いったん口にするとその鋭さに圧倒される。本当にいいものはなんでもないように普通の顔をしていて無駄がない。こんなのが、僕の理想形です。だから、そういった意味では、このエチュベは理想形の代表格のようなものです。そして、こんなありふれたような料理にこそ、五感をとぎすましてのぞまなければ、本当にありふれた料理になりかねません。
(斉須政雄『十皿の料理』)
東京・三田のフランス料理店「コート・ドール」
そのスペシャリテである「季節野菜のエチュベ」が、僕にとって未だその感動が色褪せることのない美味です。
僕の人生で最も感銘を受けた料理です。
誰にも言いはしませんでしたが、この素敵な料理を持って帰るという自分の意志でした。鍋に込めて、いつも忘れない、自分自身の励ましとしての存在でもあったのでした。ヴィヴァロワで覚え、斉須の色をつけ、何度も何度も作りかえて、試して、いつも鍋にありました。
エチュベの鍋を見ながら日本に帰るんだといつも思っていました。
日本に帰ってからはエチュベの鍋を見ながらフランスを思いました。
このエチュベの鍋が僕のまわりから消えたのは、パリから日本に帰ってくる飛行機の中だけ、といったら大袈裟かもしれないけれど、ほとんどそんな具合で、僕に寄り添っていつも在るんです。
だってね、素敵なんです。
あの店のあのエチュベを知っている人は、きっと誰だってこういうと思う。
「洒落ているってこういうことなんだよね。野菜だけなのに、こんなに旨い、こんなに気品に満ちている」
オーナーシェフ斉須政雄の著書『十皿の料理』を再読する度に、あのときの感動が甦ります。
「本当にいいものはなんでもないように普通の顔をして無駄がない」の意味を、真に体得しました。
変な話ですが、食べ物から美味しさ以上に、感動・・・いや、ただ感動というよりは、エクスタシーを感じました。
そんな感覚に襲われたのは、この時と香港・九龍の「福臨門」でフカヒレ食べたときだけだなあ。
感動の余韻が、寄せては返す波のように、翌日まで間欠的に続いたのには驚きました。
思えば、今を去ること23年前。何気なく『十皿の料理』を買って、むさぼり読みました。
いつしか、斉須政雄の世界に引き込まれていました。
この店で働きたいなあと思いました。この店なら、僕を生かして伸ばしてくれるかもしれない。僕の勘は当たっていた。なんにも知らない僕に、料理だけでなく、料理というフィルターを通して、世の中で守るべきこと、やらねばならないこと、礼儀作法を教えてくれた。
ムッシュ・ペローの目は、奥さんや子供を見るときも、新米の僕や仲間たちを見るときも、野菜や魚を見るときも、花や鳥を見るときも、いつも同じでした。すべてに対して優しさに満ちていた。能く考えて、僕等のために、野菜のために、善い指導をしてくれた。
若い頃、夢ばかり追いかけていた僕にとって、いつか「僕を生かして伸ばしてくれる」環境に辿り着くことができるかも?と一筋の光を感じる文章でした。
今は、別の読み方ができます。
斉須さんが「置かれた場所」(渡辺和子)で努力し続け、自らを鍛え、物を見る目が養われたからこそ、「この店で働きたい」と思ったお店で自らを花開かせることができたのだと思います。
「人間は自分自身の絵を描く画家である」(アルフレッド・アドラー)。
とはいえ、出会いは一期一会。
自助努力も大事ですが、自分と環境のマッチングも同様に大事だと、苦労を重ねたこの年齢になって、痛切に思います。
殻を破るような飛躍的成長のためには、自分の思いだけでも、環境の素晴らしさだけでも、足りないのです。
「啐啄の機」という言葉があるように、互いのタイミングも重要だと思います。
しかし、そんな一期一会のタイミングを見はからう眼力を養うのは、自己陶冶し、感性を養うことしか王道はないことも事実ですね。
ムッシュ・ペローは、能く考えることは、よりよい結果を生むきっかけになるといつも言っていました。
僕はエチュベの鍋にその言葉を閉じ込めて、逃げ出さないようにがっちりと封をして、作って帰ってきました。
僕は幸せ者です。フランスにいる間、ムッシュ・ペローに、ベルナールのファミリーに、仲間たちに支えられ、一人前になれよと育ててもらいました。だから、とても、この野菜のエチュベが好きです。
旨くなれ、旨くなれと育ててもらった自分を見るようです。
そんな斉須さんの文章を読む僕もまた、幸せ者です。
こんなに素敵な文章を読むことができ、実際に「コート・ドール」で「季節野菜のエチュベ」を味わい、今でも舌に感じた感動の記憶から、斉須さんの経験や苦心や試行錯誤の連続を、追体験することができる幸せ。
そして、このブログの執筆のため『十皿の料理』を再読するうちに、自分の若き日の苦い経験と、文章から滲み出る斉須さんの経験と、あのときの美味とが、僕の中で混然一体となり、いつしか涙が止まらなくなる・・・。
僕は、この料理を作るとき、いつも、将来を夢見ながら集団就職列車に乗っているたくさんの若い人と、フランスで頼りない思いをしていた頃の自分とを思い重ねてしまいます。ぴょこぴょこ頭を揃えたそこらへんにあるなんでもない野菜が、作り手の力量次第で上等な料理にもなれば、つまらない料理にもなる。受け入れる社会がどういうふうに扱うかで、野菜の運命はそこで決まるんです。皿にのったときにただのごった煮になるか、フランスにも日本の漬けもののようなものがあったんだねと驚いてもらえるようなものになるか、作り手次第なんです。
金の卵にするか、ふみにじるか。
この料理は、現社会の反映のようなものだと、僕は思います。
最近、僕も年齢のせいか、この本を読んで新たな思いが芽生えてきました。
「ムッシュ・ペローや斉須さんのように、自分が学び、経験し、試行錯誤してきたことを、世の中に返さなくては」という思いです。
まだまだ学ばなくてはならないことは多いですが、世のため人のために貢献する自分でありたい。
そんな気づきを得ました。
こんな得難い経験や気づきをさせてくれる本は、なかなか他にはありません。
ところで・・・。
若き日から、ずっと憧れだった「コート・ドール」
今から13年前に、念願だった初めての訪問をしました。
ボロボロになった『十皿の料理』を持参し、斉須さんにサインして頂きました。
その後「コート・ドール」を再訪できなかったのは残念だけど、「コート・ドール」や斉須政雄の著書について語り合える得難い友人たちと出会うことができました。嬉しい。
それはきっと、食べ手に「コート・ドール」の料理がもたらす余韻が消えることがないから、その感動を知る者たちを引き合わせるのではないでしょうか。
なぜか、ふと、小学生の頃に覚えた「万有引力とは、引き合う孤独の力である」って、谷川俊太郎の詩の一片を思い出しました。
万有引力とは
引き合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
(谷川俊太郎「二十億光年の孤独」)
感動もまた、引き合う孤独の力なのかも知れませんね。
いや、おそらくそうでしょう。
きっとそのはずです。
理想を現実とする日を信じて生きてきました。多くの人の好意に支えられて、ここまでやって来られた。季節ごとに移り変わる食材の無心の輝きは愛しくまぶしくて、遠い日に社会に一歩を踏み出した頃の自分とだぶってみえます。泣いた日には、明日こそと思った。そして、今日、念願の本ができた。嬉しい。
このような率直で飾らない文章を書く、斉須さんの作る料理。
そこには、人の心を強く揺り動かす誠実さや愛しさが込められています。
だから、野菜のエチュベを食べに、「コート・ドール」へ必ずまた行こう!
最後に、僕が「コート・ドール」を訪問した際に、斉須さんから直接頂いた言葉をご紹介します。
今でも僕の座右の銘の一つです。
人に出来たら
あんたも出来るよ。
母からよく言われ、これを信じてやってきました。
(斉須政雄)
ドラッカーへのラブレター(その1) ~ ラブストーリーは突然に ~
僕のドラッカーへの愛は、突然に、予期せず、簡単に始まった ー 恋に落ちるとはそういうものだ・・・
書いてすぐ種あかしをするほど無粋なものはありませんが、上記の言葉は、ピーター・F・ドラッカー「日本美術へのラブレター」(1991、松尾知子訳、『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画』2015、所収)という文章へのオマージュです。
私の日本美術への愛は、突然に、予期せず、簡単に始まった ー 恋に落ちるとはそういうものだ。しかし、そうした多くの恋とちがうのは、私の日本美術に寄せる愛は、あの最初の瞬間からずっと続いているということだ。
2015年、ふとしたきっかけで「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」という展覧会を訪問しました。
ドラッカーという名前は知っていました。高名な経営学者であり、著書も数冊「積ん読」したこともありました。また『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』という書籍が、数年前のベストセラーとなり、映画化されたことも知ってはいました。
しかし、ドラッカーが日本の水墨画の高名なコレクターであることは、知りませんでした。
ドラッカーは概要を知っている程度。水墨画もそれほどファンであったわけではありません。
それなのに、なぜか、なんとなく、この展覧会を訪問したのです。
水墨画について詳しくないので、絵の横に掲示してある説明文を読み読み、絵画観賞を続けました。
そんな中で、ある説明文に目が止まりました。
西洋の風景画は眺めるためのもので全てを外に閉め出す額縁の中にあります。観る人は、風景の外側にいてけっして中には入れません。
中国の山水画も、何物をもその中に入れようとはしません。観る者に対して閉ざされています。いわば観る人は人間世界に在り、山水は自然にあるのです。その意味では、中国の山水画には全く入ることができないのです。しかし、日本の山水画は、観る者を招き入れます。それどころか、むしろ入ることを望んでいて、そこにはつねに観る者の場所が用意され、身を委ねるほど、ますます深くその世界に入り込むことを可能としています。やがて、突然、そこからもう出られないことに気づきます。観る者は画の一部分に同化しているのです。
上記の文章を読んだ瞬間、胸の高鳴りが抑えられなかったです。
胸が高鳴った理由は思い当たりませんでした。
展覧会から帰宅し、「積ん読」だったドラッカーの書籍や解説書を再読しました。
目から鱗が落ちました。
例えばこんな文章にです。
ドラッカーは、日本画が描いているものはモノではなく「空間」であり、日本画では先に「空間」を見てから線を見ていると見抜きました。そして「空間」を見ることが、日本の美意識の根源にはあると結論づけました。
(中略)
日本は、大化の改新で中国の文化を移入し、明治維新で欧米の文化を移入していました。しかし日本は、日本固有の文化やアイデンティティを失うことなく、バランスをとった形で異文化を吸収していました。これを知ったドラッカーは「日本人は、ものごとの本質を因果ではなく、形態としてとらえる能力を持っている」ことに気づくことになるのです。
モノではなく「空間」を見ること。
ものごとの本質を、因果ではなく、形態としてとらえること。
ドラッカーの言葉が、僕にとって「コペルニクス的転回」のように、強く、激しく、迫ってきたのです。
(つづく)
魂が追い付くのを待つ
まずは、ミヒャエル・エンデの小品を下記で紹介しよう。
もう何年も前の話だが、遺跡発掘のために中米の内陸へ探検行した学術チームの報告を読んだことがある。携行する荷物の運搬のため、幾人かのインディオを強力として雇った。この探検にはこまかな日程表が組まれていた。初めの四日間は思ったよりも先へ進めた。強力は屈強で、おとなしい男たちである。日程表は守られた。
だが五日目に突然インディオは先へ進むことを拒否した。インディオたちは黙って円になり、地面に座ると、どうしても荷物を担ごうとしなかった。学者たちは賃金を釣り上げる手に出たが、それも功を奏しないとわかると、インディオたちをののしり、最後には銃で脅かしさえした。インディオたちは無言で円陣を組み、座り続けた。学者たちはどうすればよいかわからなくなり、ついにはあきらめた。日程はとっくに過ぎていた。
そのとき ー 二日過ぎていた ― 突然、インディオたちはいっせいに立ち上がり、荷物をまた担ぐと、賃金の値上げも要求せず、命令もなしに、予定された道をまた歩きだした。学者たちはこの奇妙な行動がさっぱり理解できなかった。インディオたちは口をつぐみ、説明しようとしなかった。ずいぶん日にちが経ってから、白人の幾人かとインディオの間にある種の信頼関係ができたとき、はじめて強力の一人が次のように答えた。「早く歩きすぎた」とインディオは話した。「だから、われわれの魂が追いつくまで、待たなければならなかった」
学者たちだけでなく、僕もまた、インディオの強力が、途中二日間も先へ進むことを拒否したことを、理解し難い。
いわく「奇妙な行動」だと。
学者たちが賃金の値上げをちらつかせても、ののしっても、銃をちらつかせても、黙って円になり座り続けるインディオたち。
しかし、インディオたちには、先へ進まず、座り続ける確かな意味があったのだ。
「魂が追い付くまで、待たなければならなかった」
「ある種の信頼関係」が構築される前にこの言葉を示しても、学者たちにはただの言い訳に聞こえたかもしれない。
インディオたちは、直感的にベストなタイミングを図って、行動をとっていたことが分かる。
タイミングが悪ければ、金でも、脅しでも、動くことはない。
すべては、タイミングだ。
はたして僕は、インディオたちのように魂が追い付くのを待ち、ベストなタイミングを見つけているだろうか?
魂が追い付くのが分かる感受性をはぐくむことが、このブログの目的の一つである。
今年の恵方は・・・
今日は節分。
会社の帰りに恵方巻を買ってきたので、さっき南南東を向いて丸かぶりした。
子供の頃、恵方巻なんて慣習はなかったなあ。
恵方巻を初めて食べたのが、20歳くらいの頃。
学生時代に関西方面に住んでいたので、その頃に恵方巻って慣習を初めて知った。
当時は関西ローカルの慣習だったが、巻き寿司を丸かぶりするってのが面白かった。
関西を離れた後も、節分になると巻き寿司を丸かぶりすることあったなあ。
まさか恵方巻が、バレンタインのチョコや、クリスマスのチキンみたいな全国津々浦々まで知られるようになるとは、学生時代には想像もつかなかった。
でも、巻き寿司を丸かぶりすると、お腹がくちくなって福豆が食べられなくなることが多い。
今も満腹なんで、少し経ったら豆食べなきゃなあ。。。
まずは、ごあいさつから ~ 多田富雄の「寛容」について ~
はじめまして。ポンちゃん(ニックネーム)です。
いままで他ブログをしていましたが、これからは本ブログを主たる媒体とします。
まずは、自己紹介をします。
ポンちゃんは、製造業勤務のサラリーマンです。
中年男子です(笑)
本業とも通じるライフワークとして、カウンセリング、キャリア・コンサルティング、マインドフルネスなどの方法論を、読書やセミナーを通じて学んでいます。
一般社団法人日本産業カウンセラー協会認定産業カウンセラー(2016年現在)
これら学びの成果を統合し、企業人としてイノベーションを産み出し、社会に新しい風を提供すること。
そのため、強く、しなやかで、したたかな、そんなイノベーターでありたい。
上記のように願っています。
ブログでは、そのプロセスを言語化することを目的とします。
言語化のために、ピーター・F・ドラッカー、心理学、哲学、仏教哲学、経営学、位相幾何学、美術史、その他多様な書籍や情報を駆使し、緻密に探究します。
そして、探究によって暗黙知を統合し言語化により明示知とし、自己意識や行動へフィードバックします。
長い闇の向こうに何か希望が見えます。
そこには寛容の世界が広がっています。予言です。(多田富雄)
ブログでは、まず免疫学の世界的な権威である多田富雄の遺言を、噛みしめることからはじめます。
ご存知のように、免疫とは体内に入り込んできた異物を排除する機能のことです。
しかし、多田さんは、免疫の排除だけでない多様性に注目します。
免疫が、異物を必ずしも排除するだけでなく、時には異物と共生する場合もあること。
多田さんは、そんな多様性を「寛容」と表現したのです。
人間は、本質的に「寛容」である生き物だと感じました。
より厳密にいえば、時に「野性」であり、時に「寛容」であるのが、人間の本質なのでしょう。
このブログでは、理性だけ、感情だけ、本能だけでない人間の本質について、統合的に探究します。
また、僕の趣味であるヨーガ、バッチフラワーレメディ、食=瞬間の芸術、デザイン全般、音楽なども、折に触れて紹介します。
「継続は力なり」
時に更新が滞るかも知れませんが、ゆるゆる、のんびり、マイペースに継続します。
今後ともご愛読のほどお願い申し上げます。